| 第6回おくの細道松島海道の旅 |
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芭蕉の道を辿り 往時を偲ぶ集い
雄島・頼賢碑建立700年、塩竃神社政宗造営400年記念
13時30分 JR陸前山王駅出立=塩竈街道〜多賀城跡壺碑、政庁跡〜総社宮〜七曲坂(徒歩)
17時00分 塩竈神社「大祓式」―神社駐車場―18時00分 〜 雄 島「頼 賢 の 碑」
18時50分 観光桟橋発―島巡り―湾内遊覧(夕日と月の出船内から観賞)―船内ミニ・ライヴ(月見御膳・地酒付)
20時20分 観光桟橋着 ― 御 開 き ―
■ 主 催:おくの細道松島海道(郷土史ボランティア) 事務局 〒981-0215 宮城郡松島町高城字町49
http//www.malkyo.com 電話022-354-4721(奥平 勝保宅)
協力団体:宮城県松島高等学校、松島善意通訳者の会、NPO芭蕉翁「おくのほそ道」ネットワーク、http://basyoo.net
松島島巡り観光船(企)、多賀城市史跡案内サークル、塩竃神社、瑞 巖 寺、多賀城市教育委員会, ,みやぎ街道交流会ほか
■ 協力・指導:三崎一夫(前宮城県文化財保護審議会委員)、小川澄夫(塩竈市文化財保護委員長)
高倉淳(宮城県歴史教育研究会会長)■後 援 宮城県教育委員会、仙台市教育委員会、多賀城市、東松島市、松島町、
(社)松島観光協会、(社)宮城県観光連盟
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秀竹書画会 「なでしこの会」
増谷 美千子 作 |
■ 2007年 6月30日 (土曜・満月) 13時30分JR陸前山王駅(多賀城市・塩竈市・松島町)
おくの細道・塩竈街道の体験歩行(約一里半)JR陸前山王駅〜塩竈神社と松島・雄島
往時の五大堂前:松島博物館所蔵の松島屏風絵
写真右上:頼賢の碑を目の当たりにして参加者の記念写真。この度瑞巖寺産のご厚意で特別に扉を開けていただきました。絵図左に643文字の碑文が記されていますがその内容は、難解で訳された文献は東北大学図書館に所蔵された読み下し文だけのようです。詳細は後の論考で紹介したいと思います。
写真右側:船内で高倉淳氏は仙台藩祖・政宗公が遺した松島遊覧の歴史を熱く語る。
松島町長【大橋健男氏)も駆けつけ、筆者と二人で「松島の月をまず心にかける。」
松島善意通訳者の会員も参加し、海外よりお越しの皆様に「奥の細道・観月体験をガイドしたい」と地酒で盛り上がる。写真右中段
仙台活動のR&Kの二人が素晴らしいギター演奏を奏でました。英語版「おくの細道・潮騒」を試作中
写真下:当日は満月を見ることが出来ませんでしたが、次回は月が海に映った好風を楽しみに再会を誓い合いました。
塩竈街道:写真右上は現在の塩釜高校の校庭(塩竈市文化財保護委員長−小川澄氏所蔵)で昭和18年の塩竈街道風景です。往時から「鳥居原」とよばれたところで、芭蕉が訪れた風情は消えてしまいました。現在は切通しによって新道が出来ましたがわずかに鳥居が残されています。
右上絵図:福岡市美術館所蔵で往時の塩竈を描いたものです。塩竈神社の表坂202段もなく門前の宿屋もまだ描かれていません。
写真左:塩竈神社「夏越の祓」と「茅輪くぐり」を体験した様子です。史書によると寛延元年(1748)より行われている神事です。参加者全員で31文字の和歌を詠い、3回くぐり抜けました。
松島・雄島「頼賢の碑」建立700年記念御開帳
徳治2年(1307)、松島の僧侶2人が頼賢の高徳を記して、鎌倉建長寺10世「一山一寧」に碑文を託しに往来しました。この道が「奥大道」の官道から分岐した「奥の細道」の由来かもしれません。史書によるとこの碑は「此石鎌倉より下る、高さ1丈1尺、横3尺5寸、厚1尺」と記されています。紀行文の書名に何故、芭蕉が「奥の細道」を決めたのか。今後の調査活動は松島の世界遺産にとっても重要な鍵となるかもしません。
写真左上:多賀城跡壺の碑と享保14年の道標
紀行文の中で「疑いなき千歳の記念」と記され、平成9年、奈良平城京時代に建立されたものとして国の重要文化財に指定された。寛文年間に発見された時は鞘堂はなく、芭蕉が書き写した後に、水戸光圀が仙台藩主に進言し現在のような鞘堂に大切に保存されるようになった。
芭蕉が訪れてから40年後に、奈良の古梅園に依頼してこの道標が街道沿いに建てられた。
道標には塩竈の越後屋喜三郎(松島出身)と刻まれている。