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奥の細道 宮城       http://www.malkyo.com  松嶋芭蕉館 (文責 京野 英一)

 このサイトは『おくのほそ道』に記された宮城県を訪ねて見たい方のために、企画したものです。【2006、3月現在】            問合せはこちらへ info@malkyo.com

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  写真写真左上:松島 ゃしんん真   写真右       写写真右上:塩竃 
「塩竃・松島図屏風」 福岡市美術館所蔵(黒田資料)

『日本三景展』より転載許可を得たものです。無断で転載複写はできません。塩竃塩竃・松嶋塩竃

           宮城県と「奥の細道」の由来について
      仙臺松尾芭蕉の書名・『おくのほそ道』 と 宮城県の古道「奥の細道」
 これまで宮城県の『おくのほそ道』に記された道を案内した資料は、現在の地図上に明らかにされていません。このサイトは芭蕉がたどった道を出来る限り、忠実に現在の地図に再現したものです。

 筆者は、仙台郷土研究会員の一人として多くの諸先輩からご指導に預かったことに感謝を申し上げ、今後一層の研究調査に励む所存です。

     書名の由来の通説は、東海道の紀行文『蔦の細道』を意識したものと言われていますが、「奥の細道」は中世から宮城県に伝わる街道の名称で、文治年間に源頼朝が国府多賀城に大軍を構え、平泉の藤原家と義経を討つ為に、進軍した道のひとつに数えられています。『都のつと』に宗久が「奥の細道」と記したのが初見です。

『都のつと』:南北朝時代(1350ころ)、「多賀の国府にもなりぬ。それより奥の細道といふ方を南ざまに末の松山」に訪ね行きぬ」