■アインシュタイン博士が観た「松島の月」
時代:1922年・大正11年12月3日(十三夜)
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| 左端の「松島ホテル」で、あぐらをかきコーヒーを飲んだア博士 | ア博士が松島駅から往復した松島電車 |
東北本線・仙台駅下り15:05発ーー松島駅着15:40分頃ーー松島電車下り15:50発ーー高城駅経由ーー松島五大堂前
松島ホテルで休息ーー白鴎楼から月を観るーー瑞巌寺を見学 【時刻表と上記写真は『松島町史』通史編より参照】
松島電車上り17:50分発ーー松島駅着ーー東北本線松島駅上り18:54発ーー仙台駅着19:30分頃
アインシュタイン博士(以下ア博士)は、こうしてみると昼の景色が見えない夕闇迫る松島にたった2時間だけ滞在したことになる。しかし其のわずかな時間にとてつもない感動を覚えたのである。
場所:ア博士は、当時の松島駅から乗り換えて高城川沿いを走る「松島電車」で五大堂前までやって来た。すでに東の空に浮かんでいた十三夜の月を電車の窓から見入っていた。写真でわかるように当時は現在の国道45号はなく、ア博士は写真左隅の松島ホテルで休憩した。最も高い位置にある建物が白鴎楼である。ア博士はこの白鴎楼の四阿(あずまや)・写真中央の木の下あたりから冬の寒風に耐えながら五大堂の左上空に上った一段と冴えた月の麗姿を観て、感激の声を放ったのである。「おー月が、おー月が」と歓喜し、微動だにしなかったのである。「どんな名工の絵でも、どんな精巧な写真でもこういう自然の美は見られない。日本に来てから始めての景色だ」とすこぶるお気に召した面持ちであった。

左:【大正11年12月5日河北新報朝刊より】 右:【平成13年10月6日夕刊読売新聞より】
作品名:「おー月が、おー月が」 ア博士は、46日間日本に滞在したが「松島の月」を観て瞑想にふけったその姿は科学者の姿ではなかった、と河北新報に記されている。
解説:ア博士は、日本旅日記に加え、雑誌『改造』1923年新年号に日本に関する印象記を書いている。この随筆にはア博士から日本の人々へ向けての多くのメッセージがこめられている。筆者が感動した一文を引用し、紹介します。(解説 近畿大学教授 佐藤文隆氏)
「私の心に大きく残っているものがあります。確かに日本人は西洋の知的業績に感嘆し、成功と大きな理想主義を掲げて、科学に飛び込んでいます。けれどもそういう場合に西洋と出会う以前に、日本人が本来持っていた、つまり生活の芸術化、個人に必要な謙虚さと質素さ、日本人の純粋で静かな心、それらすべてを純粋に保って、忘れずにいてほしいものです。」 (編訳 京都大学名誉教授 杉本賢治氏)
筆者が、「松島の月」に感動した先人達の一人にどうしても加えたかった人、アインシュタイン博士その人だったのです。松島の景勝を観るためにたくさんの人がやってきます。ア博士は暗く寒い夕闇の松島を鑑賞したのです。芭蕉も昼の景勝(扶桑第一の好風)より「松島の月」を心にかけたのです。ア博士が『おくの細道』を知っていたかどうかわかりませんが、帰国途中の船上で、土井晩翠(仙台ホテルで晩餐)に宛てた御礼の手紙が残されています。「外国の文化がどの国にも氾濫することは危険です。日本はうわべの文化を受け入れたわけではありません。外国の文化の氾濫で、日本独自の価値あるものを軽く見てもいけないし、固有の価値を忘れてはいけません。」
こうして歴史上の人物が「ふる里」松島の月に、日本固有の芸術,文化を観たと筆者も感動しました。言葉に尽くせぬ「松島の月の素晴らしさ」にいつも出会える地元の者は幸せ者です。
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| 『アインシュタイン 日本で相対論を語る』 講談社発行のカバーより転写 | 冬は屋根左に月が出る | 夏は五大堂右に月が出る |
仙台郷土研究会副会長・逸見英夫氏が平成十六年三月に他界したことは記憶に新しい。逸見さんと筆者の最初で最後の出会いとなったのが平成15年の「松嶋パークホテル復元の集い」の席上でした。その時、優しく微笑みながら、「アインシュタインが松島の月を観て、大変感動したんだよ。パークホテルには立ち寄らなかったようだけど・・・・・・・・。」と教えてくれました。筆者も仙台郷土研究会の仲間に入れていただいたばかりですが、逸見氏のご冥福を祈りながら、松島の月を眺めたアインシュタインの紹介を試みた次第です。