■「松島の月」・伊達政宗
時代:寛文12年(1635)8月15日【陽暦9月26日】この翌年伊達政宗は69歳、江戸屋敷で亡くなります。政宗晩年、最後の月見の詩が仲秋の名月に詠まれたこの作品です。
場所:松島の観らん亭:豊臣秀吉より拝領された安土桃山建築の茶室で、伊達家の迎賓館として使用されました。月見御殿とも言われ、多くの家臣や接待に利用され、武士以外の人は立ち入ることが出来ませんでした。もちろん元禄二年(1689)に訪れた芭蕉と曽良の二人は、仙台の画工・北野加右衛門に紹介され、隣接する熱田屋に宿泊しました。陽暦の6月25日は上弦の月であったので、芭蕉は政宗と違い海から昇る月の出を見ることは出来なかったのですが、熱田屋の二階宿から、中天高く海に写る月の光と島影に魅了されたに違いありません。
作品名:七言絶句 『貞山公治家記録四』38巻 昭和49年宝文堂発行 仙台市博物館所蔵
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| 今宵「月の出」を待って杖を引きそぞろ歩く。青い海原は広々としてさわやかな気が漂っている。月の清らかな光を観れば興味が尽きない。ふと気がついてみると僧の打つ夜明け前の鐘がなる。 【仙台市博物館所蔵】 |
下の部分の船着場の左側が観らん亭で「月見殿」の文字が見える。
【松島博物館所蔵屏風絵より】 |
解説:翌年、同じ場所で「松島の月」を観ることはかなわないと感じた政宗、晩年の詠歌と思われます。68歳で夜を徹して「松島の月」を愉しんだ政宗の心情を思うとき、さらには「松島の月を心にかけた」芭蕉の命がけの旅・『おくの細道』と言い、誇張がないとは言えないまでも現代の私たちは、もっともっと「松島の月」に親しんでみたいと思います。