■第2章
「芭蕉の道を辿り、往時を偲ぶ集い」
〒981-0215宮城県宮城郡松島町高城字町154-5 サイト所在地: 『おくの細道』 日本橋より百里 松島高城
http://wwwmalkyo.com メール:info@malkyo.com
松島四大観の大高森と表松島:利府町番ケ森より夕日と月を観る:松島五大観構想
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| @南:湾内の海が茜色に染まる。
A東:仲秋の名月が金華山から登る月。 |
B西:船形山に夕日が差し奥羽山脈がかげる。 |
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| D松島で最も高い姉鳥山から牡 鹿半島を望む。 | E扇谷から紅葉と扇形の湾内が見える。 |
F 空から見た松島湾 |
| ■ 右上の地図・・東:大高森 西:番ケ森 南:多聞山 北:富山の地図 |
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| G 陽が落ちるにつれ空も茜色に染まる。石巻湾は黄金色に輝き始める月の道がである。 |
参加者募集の予告
松尾芭蕉がどうしても「松島の月」が見たいという体験を一年に一度、松島生まれの松島育ちの人達が心を込めてご案内する集いです。今回は首都圏の方々も新幹線でお越しいただけるよう、JRさんと共同の催事予定です。先着100名限定で受付いたします。4月中旬より受付開始の予定です。
第3回ふる里松島海道の旅 宮城県宮城郡・桃生郡
芭蕉の道を辿り、往時を偲ぶ集い
●2004年6月5日(土曜日)12時 出立( JR仙石線・松島海岸駅前)
● 協力・指導 三崎 一夫氏 (前宮城県文化財保護審議会委員)

宮城県松島高等学校「おくの細道」案内板より転載使用(写真提供:東北歴史博物館)
● 『おくの細道』松島路 ―体験歩行およそ二里半ー
松島〜高城〜あてら坂〜上下堤〜富山観音まで、二里半(10キロ)をゆっくり歩きます。
| 12時 JR松島海岸駅前出発 松 島 より 高 城 へ ― 体験歩行 ― |
| 13時 昼 食 : 高城宿 ― 元桔梗屋跡 ― |
| 14時 体験歩行 :松島高校 ―日本橋より百里・一里塚跡 ―池田茶屋跡― 上下堤・済興寺 |
| 16時 休 憩 所:大仰寺・富山観音(松島四大観)―現地解散:御開き― |
| 17時 JR松島海岸駅前終着: |
● 【オプション】希望者のみ ー 月 見 と 懇 親 会 ー
富山観音より ― 奥松島縄文村(基調講演と見学)―大高森の夕日―
| 18時 | 夕 日 と 月 見 鳴瀬町・奥松島、大高森頂上へ − 記 念 撮 影 ― |
| 19時 | 夕 食 と 懇親会 松島:芭蕉の宿「熱田屋」跡 にて 『おくの細道』夜の追体験 |
主 催:ふる里松島海道 共 催:東日本旅客鉄道株式会社 本塩釜駅・松島海岸駅
協力団体: 宮 城 県 松 島 高 等 学 校
後 援: 宮 城 県、宮 城 県 俳 句 協 会、仙台市教育委員会と
特別名勝一市四町の教育委員会(塩釜市、松島町、利府町、鳴瀬町、七ヶ浜町)順不同
「ふる里」とは? 『おくの細道』と 松 島
松尾芭蕉が私の「ふる里」松島を訪れたのは、元禄二年五月九日・陽暦で言うと、1689年6月25日お昼頃です。江戸・深川を出立して九十九里目が松島です。同行の弟子・曽良と共に全行程600里(2400キロ)に及ぶこの旅は、芭蕉にとってどんな旅であったのでしょうか。諸説によると、先人の歌人・西行法師五百回忌を強く思い、自らの作風の集大成と詩人生涯の悔いなき道として奥州・松島を訪ねることが第一目的の旅だったと言われています。 従って、以前の作品と異なり、深川の住まいを他人に譲り、二度と帰ることもかなわないと言う不退転の旅でし。150日間にも及んで旅は大垣で終わるのですが、松島は『おくの細道』の至るところに登場しています。

江戸中期の「松島屏風絵」瑞巌寺総門前・須崎町 松島町博物館所蔵
冒頭の「先ず松島の月心にかかりて」から、日光、宮城野(仙台市)、塩釜、松島、象潟と最も多く登場する構成です。これほどまでに心にかけくれた松島を「ふる里」に持つ私達は、この紀行文から「景勝と文化」を学び、後世へ伝承せずにはいられません。江戸幕府が開かれて直ちに、全国の街道整備が行われ、五つの大動脈が「大道」なのにたいして、名付けられた作品の名称は、奥州・松島に向かう「奥の細道」です。この道は、古くから多賀城政庁に通じる今市橋・東光寺附近(仙台市宮城野区岩切)の古道を指す固有名詞と言われています。芭蕉は、松島に通じる宮城の道から題名を決めたといっても過言ではないでしょう。奥州街道に対して、みちのく松島へ至る私心を風雅・風情の未知なる一筋の道の意味に含ませたと思われます。 ![]()
同行の弟子・曽良の随行日記と比べる時、推敲に身を呈した意志は、世に広めるための作品とは思えない、生涯の集大成であり、形見そのものでした。近年になって俳諧文学は、世界中に広がりを見せており、日本文化のたぐいまれなる自然感と魂が溶け合う一体感は、世界共通の精神文化であることを強く思います。それにもかかわらず「ふる里」松島は、単なる景勝地としての観光地になりつつあり、もっともっと世界に通ずる俳諧文化の「ふる里」として『おくの細道』の代表舞台を誇りたいものです。具体的には松島の縄文遺跡、中世の歌枕、日本庭園、政宗の桃山文化、『おくの細道』、特別名勝地、種牡蠣(種かきの浅海漁業)等の故郷(ふるさと)を指しています。
注釈「ふる里」:たくさんの同義語の中から単なる古里でなく、溢れた・FULLという里の意味。
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「ふる里松島海道」とは?
はじめまして・・・・・。ふる里松島海道です。info@malkyo.com
松尾芭蕉、奥の細道と聞いて連想する言葉は、どういう言葉でしょうか? 1
俳句 2旅 3松島 4最上川など・・。具体的にいくつかあげられると思いますが、日本人なら「松島」を抜きにして語ることができないほど、「日本三景」と「芭蕉」はいつの時代になっても耳に残る言葉のひとつでしょう。これ程有名な松島を紹介している現在の観光パンフレットをご覧下さい。一つだけ残念な事があります。芭蕉が歩いた松島の道を示したものがないのです。子供達の教科書はじめ、これほど「奥の細道・松島」に関する文献は沢山あるのですが、芭蕉が歩いた松島の道を自分の足で体験したい人はいないのでしょうか?
私達は観光事業で生計を立てておりませんが、松島に生まれ育ちながら年間に数百万人も訪れる観光客の皆さんと、触れ合う機会も、交流もなく、寂しい気持ちがいたします。松島町民の一人として芭蕉の歩いた街道筋を案内しながら、全国からやって来る人達と「一期一会」のひとときを過ごせましたなら、どんなに楽しいかなーと思います。
元禄時代から賑わいを見せた高城(たかぎ)は、今は宿場の面影はなくなりましたが、日本橋から百番目の一里塚跡を残す松島町内の一画です。芭蕉が訪れた頃の満月を鑑賞出来ますように奥の細道に代表される松島路を「ふる里松島海道」と命名し、歴史の道の案内役をさせて頂きたいのです。「芭蕉の道を辿り、往時を偲ぶ集いー」として平成13年(2002)から毎年催しています。一例ですが、芭蕉は松島に宿泊しました。宿屋の主人は久之助と記載されておりますが、宿屋名は今まで謎のままでしたが、平成15年の調査によって判明しました。仙台出立の時、餞別に戴いた海苔(も翌日、、塩釜や松島で味わったと思われますが、お土産に海苔を買い求める人もなくなりました。更に翌朝、芭蕉は石巻街道(を主として歩きましたが、松島町には往時の街道が今なお一部残されているものの、奥の細道の案内標識一つ示されていないのが残念でなりません.
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2003(平成15)年3月1日
『おくの細道』案内板 宮城県松島高等学校・西入口に初めて設置しました。 写真:卒業式を終えて除幕式風景 |
■ 注釈を読んでからご案内ご致します。
註@:芭蕉の松島路: 奥州街道から塩釜街道に至る道は岩切の今市橋を経て多賀城に通じる付近を南北朝時代から「奥の細道」と呼んでいました。芭蕉は仙台からこの道を通り、塩釜から船で松島に着き、高城(たかぎ)、一ノ渡(いちのわたし)、左坂 (あてらざか)、富山
・黒門、上下堤(じょうげつつみ)に出て小野に向かいました。
註A:久之助主人の宿
: 仙台の画工・北野加衛門が紹介した宿屋で、須崎の二階宿の一つですが平成15年の調査の結果、熱田屋と特定できました。現在の瑞巌寺総門の西側一帯です。〒981−0213 宮城郡松島町松島町内75−14
註B:餞別に戴いた海苔:随行の曽良旅日記によると芭蕉が仙台を出立する朝、北野加衛門より藩内の海苔を頂いた。
註C:石巻街道、金華山街道 : 奥州街道の北目町を起点とした地方道で金の産地・信仰の地として金華山に通じた太平洋側の街道で原町、岩切(いわきり)、利府(りふ)、松島、高城(たかぎ)、小野、石巻と通じます。
註D:百里目の一里塚
:日本橋から仙台・芭蕉の辻まで六九次九三里と言われ、原町、岩切、神谷沢(かみやざわ)、森郷、赤沼、松島に一里塚があり、高城宿(たかきしゅく)が丁度百番目の一里塚です。(松島高校北側)
註E:ふる里松島海道
:奥の細道「松嶋」の紀行文は二泊三日で記されていますが、曽良の随行旅日記によると、一泊二日の滞在でした。名勝地ゆえ「侘び・寂び」の風情と異なった松島湾も含めて鑑賞できますよう、芭蕉以上に堪能して戴きたい特別名勝の道筋です。
註F:元禄版本
:旅を終えて、芭蕉は推敲を重ね、元禄七年に完成。素龍に浄書させた「おくのほそ道」(西村本)をもとに去来が京都・井筒屋より版本を作り元禄15年(1702)に出版刊行されて、平成14年で300年を迎えました。『おくの細道』は平成8年に発見された芭蕉直筆本の本文より引用しました。。
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