■ 第1章  松 島 海 道 と は ・・・・・

  慶長九年(1604)、徳川幕府は日本全国を統治するための政策の一つとして伝馬制発令による宿場と街道の整備に着手しました。代表的な街道は、江戸・日本橋を起点とした主要五街道でしょう。東海道、中山道、甲州街道、日光街道、奥州街道ですが、最も有名なのが五三次・東海道で京都の三条大橋まで126里6丁1間です。  『国史大辞典』  吉川弘文館参照

 後に「五街道」は参勤交代制が発令されて地方大名が往還する「官道」としてだけでなく、江戸と地方を結ぶ物産、文化や情報伝達にとって重要な陸上交通の役割を担いました。ご承知のとおり元禄二年(1689)、五月には松尾芭蕉も奥州街道を通って仙台までやって来ました。このサイトは、この奥州街道を経て松島を目指した松尾芭蕉と曽良の旅に描かれた『おくの細道』の松島に至る街道(奥州街道、塩釜街道ほかを案内したいと思います。

伊達政宗は仙台に築城しましたが奥州街道以外にも,それ以前古くから栄えていた石巻と仙台を結ぶ宿場と地方道石巻街道、気仙道の整備を進めました。その外にも脇街道に限らず水上交通路の整備も盛んに進められました。藩内には北・石巻より松島湾を中継として南・亘理までを仙台湾岸沿いに結ぶ貞山運河を築き、仙台城下・舟丁までの水路を整備したのです。塩釜から松島を経て石巻への湾内航路は「松島海道」と呼ばれ、松島湾内は石巻から江戸へ向かう千石船の中継地としても大いに賑わいを見せました。芭蕉と曽良もこの「松島海道」を経て塩釜から松島に着いたわけです。現在でも松島を訪れる観光客は、塩釜から航路で松島を訪れますが「松島海道」と呼ばれた歴史を知る人は少ないないようです。       

 松島は昭和28年(1953)富士山とともに、最初に特別名勝地に指定され、半世紀を経過しました。国指定の特別名勝地の中でも松島は一市四町の行政範囲に及ぶ広域な名勝地ですが、湾内を囲むこれ等自治体が一つになって、共通する松島の歴史的文化活動に取り組む姿は見受けられません。松島の歴史的文化は、松島町単独で継承出来るほど簡単なものではありません。 そこでこのサイトは、松島海道をふるさととする松島湾沿の郷土史の一遍を「ふる里松島海道」として紹介するものです。

 □ 『奥州仙台領国絵図』より転用 :正保年間作成の最古の国絵図 ・・・・・・・・・ 仙台市博物館所蔵

 ■ 現在の松島海道を鳴瀬町:宮戸島・大高森から見る ・・・・・・・・・   右:松島湾、左:石巻湾

   


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